何があって、何がないかがわかるまで歩こう。
Posted by jane - 2009.02.15,Sun
物理的に間に合わせることは不可能なような気がしてきた。
試験の話。
あーーー。最近の集中力のなさのツケが今まわってきているなー。
試験の話。
あーーー。最近の集中力のなさのツケが今まわってきているなー。
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Posted by jane - 2009.02.11,Wed

文句を言うだけも妄想するだけも簡単なんだけどなー
実際行動しようと思うといろんな現実に直面するなぁ。
あ、一人暮らしをしたいという話です。
姉に耐えられん。
あー宝くじ当たればいいのに。
とかって貪欲の骨頂みたいなこと言ってはいけませんね。
せめてzookeeperで賞金懸けた大会があれば私がんばっちゃうよ。
なんて。
Posted by jane - 2009.02.10,Tue

やっと新しい写真できた(*´ω`)σ
早くモノクロフィルムのも現像出しにいかなきゃなー。
****
慣例に縛られることなく、本人達の楽なようにするのが一番いい。
分かっているつもりではいたけれど、やはりいろんなものにがんじがらめにされていた。
そこにひょっこり新しい風が現れてくれた時のうれしさといったらない。
大切にしますよ。
Posted by jane - 2009.02.09,Mon
これ
「勉強ができる」という蔑称-理系兼業主婦日記-
とか、これ
Openブログ-頭がいいと蔑まれる?-
を読んで。
確かに、「勉強ができる」っていうことは、上の人が書いているように、特に子供のころは肩身の狭い思いをすることが多い。
100m競争で1等をとったことは自慢できても、テストで100点をとったことはひた隠しにしなければ子供の世界ではいじめられる。
いじめの対象になりやすいことは確かだろう。
やはり、小さい頃に運動は絶対1等とれ!と言われるよりも100点とれ!って言われる家庭に育っている子が多いからだろうか。
自分達だって欲しいものを一見やすやすと手にいれてるように見えたら、そして同じように考えている人間が集団でいたら、勉強のできる子を蔑んでやろうぜなんてなるのかもしれない。
で、まぁ下の人はそんな意見を否定しているわけだけども、
つまり、勉強できる人の中にも蔑まれる人もいれば、尊敬される人もいるって意見で、まーそれは確かだ。
だけど一つ気になるのが、ここ。
この文からすれば、彼は悪戯やらの悪ガキぶりは無意識的にやっていたんだろうけれど、そこが上の彼女と違う。
多分彼は、頭も悪くなくある程度の回転の速さも持っているだろうが、秀才並みの早さは持っていないのだろう。というよりか、感受性がそこまで強くはないだろうと感じた。
子供の頃に勉強ができる子っていうのにはおそらく2パターンいて、親にやれやれ言われてそれをしっかりこなすから、勉強できる子と、言われたら勝手に範囲を自分で広げていくし、ほっといても勉強する子に別れる。
そして、このほっといても勉強する子っていうのがいわば生まれつき頭がいいっていう子なんだろうけれど(もちろん前者の子の中に自分から勉強する事がいいことなんだと知ってるからやる子もいるけれどそれは除く。)、わりとこの子達の中には頭の回転が速い子が多い。
実際に勉強もできて頭の回転も速い子はどうなるか。
とりあえず、誰しも秀才キャラには、違う目で見てしまうものがあるが、それを早々と感じ取ってしまうだろう。
そうなれば、「あぁ、自分がターゲットにされてしまうかも」とか「これ以上目立たないようにしたい」とか「いじめられないようにどうにかしなければ」
ってことが頭の中を過る。
だから、どうにかして目立たないように、いじめられないように、ふざけたことをしたり、「できる」自分はひた隠しにしたりする。
おそらく、無意識のうちに悪ガキだった彼はそのつらさを知らない。
どうにかして必死にみんなに合わせることの孤独感を知らない。
何も考えずに彼のように、ワーッ!っていけたらどんなにいいかと悩むことを知らない。
そりゃ、どんなに勉強ができる子でも、その後に真っ先にバカなことしたらいじめられないだろう。
無意識にそれができたらいいが、意識的にそれをする疲労感を彼は知らないのだ。
周りのことに気づけてないから、昔のことを美しい思いでのままに保っておけているんではないかと思う。
勉強ができる子に、一瞬でも僻が入るのは事実としてあるわけで、もし彼が本当に勉強ができる子なのにそんな蔑まされる気持ちを微塵も感じたことがないのなら、それはただ単に気づけていないだけだ。そこまでの感受性がなかっただけだろう。
とまぁ、書いてはみたものの実際こんな風に勉強できることの苦しみを嘆いていられるのは10代までだと思っている。
20を超えれば、勉強ができるの中でも
勉強だけができる子(点取り人間)→考える力はない
本当に頭がいい子→考える力がある
という分類が徐徐に明るみになってくるだろう。
下の彼の記事の方で、
っていうのには共感だ。
30ぐらいになって、未だに勉強できることの苦しみを言っていたり、小さいころに蔑みの防御策のために進んでバカをやらなかった彼女も、彼と同様に頭の回転がものすごい速い人とは言えてしまうかもしれない。要はお勉強はできる人ってやつなのかもね。知らないけど。
彼女の記事の中に、
なんて思ってしまった。
私の周りにもまーそれは勉強がよくできる子はたくさんいるけれど、それがどういう種類の勉強ができる子なのか(本当に頭がいいのか、ただお勉強ができるだけなのか)っていうのが分かってくるのはこれからなんだろうなというのを最近ふと考えた。のでこんな記事らを引用。
自分はどうかっていうと、そこまで点取り勉強が得意ではないけれど、きっと研究の方が向いている!と思いこんでる節があるので、「本当に頭がいい」の部類に入れたらいいな、とキラキラ目を輝かせているところ。
でも、私が点をとれないのは試験前にこんなことウダウダ書いているからなんだろうなという事実があるので、そもそも勉強ができるのどっちの部類にも入れないという危惧が目の前に転がっていることに今気がついた。
ということで勉強します。がんばります。
「勉強ができる」という蔑称-理系兼業主婦日記-
とか、これ
Openブログ-頭がいいと蔑まれる?-
を読んで。
確かに、「勉強ができる」っていうことは、上の人が書いているように、特に子供のころは肩身の狭い思いをすることが多い。
100m競争で1等をとったことは自慢できても、テストで100点をとったことはひた隠しにしなければ子供の世界ではいじめられる。
いじめの対象になりやすいことは確かだろう。
やはり、小さい頃に運動は絶対1等とれ!と言われるよりも100点とれ!って言われる家庭に育っている子が多いからだろうか。
自分達だって欲しいものを一見やすやすと手にいれてるように見えたら、そして同じように考えている人間が集団でいたら、勉強のできる子を蔑んでやろうぜなんてなるのかもしれない。
で、まぁ下の人はそんな意見を否定しているわけだけども、
つまり、勉強できる人の中にも蔑まれる人もいれば、尊敬される人もいるって意見で、まーそれは確かだ。
だけど一つ気になるのが、ここ。
ちなみに、私の例を挙げよう。私はちっとも蔑まれなかったし、とても楽しい小学生時代を過ごした。ほとんど天国のような気分だった。 (^^);
私と彼女とは違う。では、どこが違うか? 私がとても善良であったことか? いや、私はやんちゃな悪戯っ子であったし、とても善良ではなかった。悪戯が過ぎて、教師に「悪太郎」と呼ばれたことすらあった。それほどの悪ガキだった。 (^^);
私と彼女との違いは、私のまわりの人間環境が良かったことだ。すばらしい級友がいたし、すばらしい教師がいた。今にして思っても、実にすばらしい人々であったと思う。
手に負えない悪戯っ子であった悪ガキをていねいに扱って、きちんと教育してくれた教師。いつも快活だった、明るい優しい親友たち。(超美人の異性を含む。 (^^); )
実にすばらしい環境があったと思う。その意味で、私はとても幸運であった。
この文からすれば、彼は悪戯やらの悪ガキぶりは無意識的にやっていたんだろうけれど、そこが上の彼女と違う。
多分彼は、頭も悪くなくある程度の回転の速さも持っているだろうが、秀才並みの早さは持っていないのだろう。というよりか、感受性がそこまで強くはないだろうと感じた。
子供の頃に勉強ができる子っていうのにはおそらく2パターンいて、親にやれやれ言われてそれをしっかりこなすから、勉強できる子と、言われたら勝手に範囲を自分で広げていくし、ほっといても勉強する子に別れる。
そして、このほっといても勉強する子っていうのがいわば生まれつき頭がいいっていう子なんだろうけれど(もちろん前者の子の中に自分から勉強する事がいいことなんだと知ってるからやる子もいるけれどそれは除く。)、わりとこの子達の中には頭の回転が速い子が多い。
実際に勉強もできて頭の回転も速い子はどうなるか。
とりあえず、誰しも秀才キャラには、違う目で見てしまうものがあるが、それを早々と感じ取ってしまうだろう。
そうなれば、「あぁ、自分がターゲットにされてしまうかも」とか「これ以上目立たないようにしたい」とか「いじめられないようにどうにかしなければ」
ってことが頭の中を過る。
だから、どうにかして目立たないように、いじめられないように、ふざけたことをしたり、「できる」自分はひた隠しにしたりする。
おそらく、無意識のうちに悪ガキだった彼はそのつらさを知らない。
どうにかして必死にみんなに合わせることの孤独感を知らない。
何も考えずに彼のように、ワーッ!っていけたらどんなにいいかと悩むことを知らない。
そりゃ、どんなに勉強ができる子でも、その後に真っ先にバカなことしたらいじめられないだろう。
無意識にそれができたらいいが、意識的にそれをする疲労感を彼は知らないのだ。
周りのことに気づけてないから、昔のことを美しい思いでのままに保っておけているんではないかと思う。
勉強ができる子に、一瞬でも僻が入るのは事実としてあるわけで、もし彼が本当に勉強ができる子なのにそんな蔑まされる気持ちを微塵も感じたことがないのなら、それはただ単に気づけていないだけだ。そこまでの感受性がなかっただけだろう。
とまぁ、書いてはみたものの実際こんな風に勉強できることの苦しみを嘆いていられるのは10代までだと思っている。
20を超えれば、勉強ができるの中でも
勉強だけができる子(点取り人間)→考える力はない
本当に頭がいい子→考える力がある
という分類が徐徐に明るみになってくるだろう。
下の彼の記事の方で、
しかし、それが何だというのだ? 世の中には、皮肉を言う連中はいっぱいいる。本項についても、さっそく皮肉を浴びせる連中がいる。
で、それが何だというのだ? いちいち連中の皮肉に付き合っている必要はない。皮肉を言われたからといって、「蔑まれた」と落ち込んでいる暇はない。
例の彼女だって、記事にはさんざん皮肉が浴びせられた。しかしそれは、「彼女の頭がいいから」ではない。「世の中にはトンデモマニアみたいに皮肉を浴びせる連中がいるから」だ。
そんな気違いみたいな連中が何を言おうが、気にすることはあるまい。大切なことは、もっと別にある。
はっきり言って、彼女は、いちいち皮肉に傷ついているよりは、もっと別の生き方をするべきだったと思う。ただ、それは、彼女だけの力ではできなかった、とは思うが。(その意味では同情に値する。)
彼女が悲しむべきだったとしたら、頭がよかったことではなくて、強い生き方ができなかったことだ。悲しむべきことを間違えている。大人になっても、いまだに間違えている。(その意味では同情に値しない。)
彼女は今からでも、もっと強い生き方をするべきだ。非難するコメントを蹴散らす手間をかけるよりは、馬鹿の相手をやめる方がいいだろう。
っていうのには共感だ。
30ぐらいになって、未だに勉強できることの苦しみを言っていたり、小さいころに蔑みの防御策のために進んでバカをやらなかった彼女も、彼と同様に頭の回転がものすごい速い人とは言えてしまうかもしれない。要はお勉強はできる人ってやつなのかもね。知らないけど。
彼女の記事の中に、
とあるけれど、その研究者ら当の本人達は、多分周りがどう思っているかなんて気にしてないし、というよりかは寧ろ自分のことに誇り持ってるから気にするなんて考えたことないかもしれないよ。私の周りにいた研究者の友人や先輩たちは、子供のような感動と熱意をもち続け、創造することの苦しみと喜びを加え、大人の忍耐力をもって、学問の豊かで美しく、実り多い世界を、自ら築き上げてきた。
なんて思ってしまった。
私の周りにもまーそれは勉強がよくできる子はたくさんいるけれど、それがどういう種類の勉強ができる子なのか(本当に頭がいいのか、ただお勉強ができるだけなのか)っていうのが分かってくるのはこれからなんだろうなというのを最近ふと考えた。のでこんな記事らを引用。
自分はどうかっていうと、そこまで点取り勉強が得意ではないけれど、きっと研究の方が向いている!と思いこんでる節があるので、「本当に頭がいい」の部類に入れたらいいな、とキラキラ目を輝かせているところ。
でも、私が点をとれないのは試験前にこんなことウダウダ書いているからなんだろうなという事実があるので、そもそも勉強ができるのどっちの部類にも入れないという危惧が目の前に転がっていることに今気がついた。
ということで勉強します。がんばります。
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