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何があって、何がないかがわかるまで歩こう。
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Posted by - 2024.05.18,Sat
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Posted by jane - 2011.07.26,Tue
 入院してた。
退院もすでにした。

連休ごろからなんだか体調が悪くてあぁ夏バテだなーなんて思っていたのだが、
ある日夜中に胃痛で2時間ごとに目が覚めるほどまでになった。
朝になったら病院行こうと思っていたのだけど、動く気にもなれず結局その日の午後に病院行ったら、細かい検査する必要があるかもしれないけどここではできない、のでもしこの胃薬を今日飲んで効かなかったらすぐに明日近くの大きな病院に行きなさい。
なんて言われてしまった。
病院行けばもう治ったも同然だろーとか思っていたのに、本当に薬が効かないwwww
またその夜も半泣きでもがいて次の日の朝に言われた病院に行った。
そうしたら、採血、CT、レントゲン、胃カメラと検査にどんどん回されて、終わったと思ったら入院宣告をされて4日ほどすることになった。

というわけで入院初体験終了。

全くびっくりだよー。


一応急性腸炎ということになったが、というよりは、胃や腸など消化器官が全体的に炎症を軽く起こしていたらしい。
たいしたことなくて本当によかった。

それでも食事や生活はまだ結構思うとおりにできなくて、今は実家で療養している。
おかゆ好きなので何ら問題ない笑

目下の心配は、後輩と夏にビアガーデン行こうと言っていたのにいつからお酒飲めるようになるかということである。



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Posted by jane - 2011.03.24,Thu
時間ができたら、海越しに東京都心の街並が見える所にいって、夜景を撮ってこようかと思っていたけれど、節電状態になったので今行っても仕方あるまい。

というか、メインに使っているカメラが壊れたっぽい。
それこそ暗い東京というのも撮りたいけれどそれができないのでもどかしい。




原発関連のニュースがずっと話題になっていて、今日は東京にくる水道水の放射性ヨウ素が乳児の基準値超えたとかで今度は水の買い占め騒動が始まっている。


もう冷めている。
冷めている人が周りに多いのになんでこんなことになっているのか分からない。

今回の水の問題については子供がいる家庭は気にするのは分かるけれど、大人なら特に気にする必要はない程度である。
だけど実際にスーパーで水が売り切れていた。


ニュースを読んでても不安になることばかりでもう読むのもやめた。
放射性物質に関しては考えることを一旦停止する。
なるようになるし、死ぬ時は死ぬし。

ただ望むのは、見苦しくなりたくない。
マスコミが煽った通りに買い占めしたり怯えたりしたくない、多分それだけだな。

それが原因で数年後死んだとしても、「あぁ数年前に東日本大震災があったからね」で済むもん。
そりゃぁ、まだまだ生きたいけれど、見苦しい生き方をして死ぬよりは、もう少し穏やかな生き方をして死にたい。

Posted by jane - 2011.03.20,Sun
3月11日に起きた大震災やその後について大分気分が落ち着いてきたのでまとめ。

といっても私は被災してないし、実は一番揺れたものを感じてもない。

【3月11日】
前の記事にも書いていたように、9日から北海道に学会のため行っていた。
学会自体は札幌市内の山奥で行われていて、11日の昼に終った。
そして帰りの飛行機は夜に千歳を飛ぶやつだったので、少しだけ札幌市内でも観光しよう、ということに。(まぁ札幌を少し観光したいから遅めの飛行機だったのだが。)
すぐに帰る人達は、13時に学会会場を出てそこから1時間ちょいバスに乗って空港に向かっていた。
札幌を観光する人達は14時のバスに乗ってこちらも1時間ちょいで札幌駅前に向かっていた。

地震が発生したのは、もうすぐ札幌駅に着くという時で、バス内の誰かが、twitterでみんなが大きい地震があったと言っている、宮城が震源地らしい、ということ情報をちらっと得ただけだった。
つまりたまたまバスに乗っていたので全く地震に気がつかなかったのである。
その時ぐらいから私もケータイでtwitterにアクセスしようとしていたのだけど、中々つながらないし、
最近地震も多いからまたその程度だろうぐらいにしか考えていなかった。

私と行動を共にしていた人達12,3人は、あまりtwitterに普段からアクセスしてない人達だったので、私も含めみんな特に気にする様子もなく札幌駅に着いたら、荷物をロッカーに預け、じゃぁとりあえず時計台見にいってがっかりするかーと言っていた。

時計台に移動中、後輩が仙台にいる友達がtwitterで学校壊れたとか言ってるといって、わぁホントに大きかったんだねーとか呑気に話していた。

いざ、時計台についたら、その時計が止まっていた。
よく掲示を見てみると先ほどの地震で止まったとのこと。
私はいつまでたってもネットにアクセスできないなぁと思っていた。
しかし行動していた大部分がまだ全然地震のひどさに気がついていなかったので、今度はサッポロビール工場に行くことに。

そして第二陣の茨城沖の地震が起きたという情報も入ってきた。
それでもフラフラと工場付近を歩いていると、あまりケータイを見てなかった友達に、その子の親から安否確認メールがきた。
え、安否確認メールするぐらいなの?となり、ケータイでチェックする人が増えだした。そして相変わらず私のケータイはネットに繋がらずとりあえず母親にCメールだけ送ってみると、「鍋が飛んだ。すごくこわい」というメールがきて、こりゃやばい、とこの時点あたりからやっと思い始めた。
そしてさらに返信しようとしたけれどもうメールを送ることもできなくなり、以後家族とはしばらく音信不通。

事態の酷さを大分理解しだした、それでも半分はまだ全然情報を見ていなくて、体験工房なんかをしていたのだが、大分被害がひどいと認識しだした数名がみんなに報告し、そこからやっと情報収集合戦に。しかし相変わらず私はネットにつなげられず。
恐らくこの時16時ごろ。


宮城の津波が相当ひどいらしい、お台場が燃えている、市原で爆発してる、江ノ島付近の海がかなり引いてる、電車が全部止まった、都内の人は帰れない

そういった情報がちょっとずつ集まってきて、いよいよこれはやばい、帰れないことも想定しなければならないし、帰れたとしても果たして羽田から出られるのか?という話になっていた。
それでも地震を体感してない分あまり現実感がなく、冗談を言える余裕もあった、というか恐怖心はあったのだがこういう時こそ冗談でも言っとこうと無意識に頭が働いていた。

空港の情報を探そうとしてるうちに、とりあえず空港に行った方がいいのではないか、という意見も出始めていた。(現に私もそう思っていた)
そして17時すぎに先に空港に行っていた人から電話が友達にかかってきて、今空港に来ても、払い戻しなどの行列が二時間待ちぐらいになってて意味がない、今すぐホテルをとった方がいい、と言われ、
今度はホテル探し合戦になった。
しかし、飛行機が欠航になってどんどん空き部屋がなくなっていて、12,3人空いてるところを見つけた時には18時半近くなっていたと思う。

ちなみにここまではずっとサッポロビール工場のベンチと電源がある一角でずっと行われていたwww迷惑だったと思いますごめんなさいww


この頃にはむしろ一泊延泊するどころじゃ済まないかもしれないということになり、多めにお金をおろしておく。
ホテルは札幌駅を中心としてサッポロビール工場とちょうど正反対だったためかなり歩いた。おまけに凍ってる道は慣れてない人間にはものすごく歩きづらい。
そういえば、仕分けで除雪が減ったと聞いたなぁ。れんほうめぇぇぇぇぇぇ!!!!!とか思いながらひたすら黙々と歩いていた。

ホテルについたのはなんだかんだで19時半ごろになっていた。
ホテルのレストランは20時閉店ばかりだったので、外に食べに行くことに。

この時はみんなテレビなどで地震のニュースを見て凍り付いたあとだったのだが、我々被災してないし、もちろん大変だけど暗い顔したってね、ってなわけでおいしいもの食べよう、となりジンギスカンを食べておいた。

ジンギスカン食べ終わったら、やっとホテルでネットにアクセスできるようになったので、ここからやっと情報収集と必要連絡をひたすらした。


もうこの時はケータイでは誰とも連絡とれないし、テレビに映るのは火の海の気仙沼だし、東京もひどそうな情報が飛び交ってるし、しっかりと恐怖が頭の中に刺さっていた。
深夜に友達とチャットをしたら、東京は意外と普通だから安心しろという話を聞いて、
何も情報が得られない状態で想像力でどんどん恐怖に陥っていた自分に気がついて、少し安心した。

ああいう時は不思議なもので、こわいのに何が起きてるのかを実感していないから、知りたくてテレビやネットをずっと見続けてしまう。そして余計こわくなるという負のスパイラルに巻き込まれるものである。
そうして寝たのは26時半くらいだったか。

ちなみに飛行機は新たに予約して12日の夕方飛ぶやつをとっていた。

【3月12日】
Cメールの着信音で目が覚めた。
普段、メールの着信音で目が覚めるということなんてないのに、さすがに緊張していたのだと思う。
つまり、ケータイの回線が徐徐に復活してきたということだ。はやい。
その1時間後ぐらいにはやっと親と連絡がとれた。
たわいもない話をしたがとりあえずホッとする。

空港行く前には、多分東京戻ると食料が手に入らない可能性もあるから今日の晩ご飯も買っておこうとなりその後千歳空港に向かう。

正午には空港着。夕方の便なのになぜこんなに早くいったかというと、払い戻しとチケット購入をしなければならず、かなりの混雑になると予想していたから。

案の定混雑したのだけど、3時間ぐらい暇になりw一冊ナンプレ雑誌を買い、みんなで解いて暇をつぶしていた。

飛行機はまとめて取ることはできなかったので、二人づつぐらいに別れていろんな便の飛行機にのった。
ちなみに、実家が西の方にある子はそのまま実家に帰ったりもした。

そして羽田に着いたのが20時。
この時にはモノレールも地下鉄も通常通り動いていた。
心なしか街が暗い気がしたのは多分節電をしていたのだろう。
自宅がどのくらい悲惨か心配したが、揺れの方向がよかったためか、写真立てと花瓶が壊れているくらいだった。
そしてこの日は疲れてそのまま寝落ち。

【その後】
次の日は大学にいき、地震の時に大学にいた人達の話を聞いたりしていた。
ES書かなきゃと思っていたが、なにも手につかず、このあたりから計画停電の話も出始めたので暗くなる前に帰る。

なにも手につかないのが何日も続いていた(それは今もそうかも)

ESの締め切りなどは軒並み延長になり、就活自体にも今後かなりの影響がでそうである。

食料に関しては、買い占めなどが起きているが、とてもラッキーなことに、北海道に行く直前に米が尽きたので、5kg買っておいたのだ。米だけはある、と思うととても心強い。
今日スーパーに行ったが、確かにいろいろなくて、パンもホットケーキミックスもないとなると、恐らく明日からは朝も和食生活になるのだろう。まぁ仕方ない。


余震が起きるとやはり一人暮らしは不安で、友達の家に駆け込んだこともあった。声を出す相手がいるかいないかというのはかなり違う。とてもあの時は落ち着いた。


節電はかなりしていると思う。というかおかげでひどい夜型が改善されつつある。
被災地含め東京はこれからが大変そうだ。
しかも就活関連は全て遅れるので個人的な影響はかなりでかい。


先ほども書いたようにこの1週間は本当に自分の作業に手がつかず、何もしてない。
突然日常が戻ってきた時に全ての予定がそこにつまりそうでこわい。(ならやれ
あまりにも手につかないのだけど、試しにGoogleで安否確認検索のパーソナルファインダーの入力作業ボランティアをやってみた。これだけはひたすらできた。
多分やることが決まっているからだろう。もちろんそこで妙なドラマが見えたりして無心ではいられないが。
どうしても何も手につかない人はやってみたらいいと思う。
あまりボランティアはもちろん募金なんかもしない人間なのだが、これだけは自分の気分の落ち着きにも役立っていた。


今回痛感したのは、何も情報が手に入らないことの恐怖である。
地震さえも体感してない私は恐らくかなりの強運ではあるけれど、現在地方の人間が都心の被爆に怯えているように、部外者のような人間の方が逆に恐怖心が高まる可能性がある。
北海道にいた時の自分は確実にそれであった。
東京にいる時の方が、もちろん怖さはあるのだけれど、同時に冷静であったりもする。
まぁ、怖くない人なんていないさ、とそれを思うしかない。


Posted by jane - 2011.03.01,Tue
ところで前回書いてた就活筆記試験受けた会社に、明日面接行くんだけど、
今日その試験で、聞かれた事に対して正反対のこと書いたこと気がついたのですでに行きたくないでござる。
スライディング土下座だこりゃ。



喉が痛い。
やだなぁ。

2月は3日短いからいろいろと予定が狂うぜ。

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写真と映画と模型とコケとコンピュータが好きな、友達が欲しいひとり好き
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