何があって、何がないかがわかるまで歩こう。
Posted by jane - 2010.05.11,Tue

自分の実情なんかをひとつひとつ知りながら生きている人なんてそういないのかな。
みんなそれぞれなにかしらごまかしている。
咎めることはないけれど、人と向き合うのが難しいのはここに原因があるのだなぁ。
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Posted by jane - 2010.05.09,Sun

平穏を求めて雑踏の中に飛び込んだり、
安らぎを求めて修羅場になるようなことしたり、
そんなことばかりしている。
妙に嘘がうまくなりすぎてしまった。
元気だし楽しいしいろんなことに興味があることはあるけれど、同時に真逆なことをしていたりする。ストップがかからない。
他人のことと同様に自分のこともあまりにも客観的に見すぎていて事実把握のみしかしていない。そのくせ少し甘やかしている。
これは一体いつになったら止まるのやら。
恐らく歴史を見るにも、人間の行動は、勢いで行われたもの、熟考で行われたもの、の他に止めることができなかった(勢いとは異なり、よくないことは分かっていたりするもの)行動のものもあるのではと。
私だけでなく生きているどんな人々も似たようなことを感じ、自分でどうにか鍛冶をとろうとするのに、できず、終いには苦しみを感じることもないというようなことがあるだろう。
つらいことを誰かが吐露すれば、「そんなぐらいのつらいこと誰だってやっている」という抑え方をする意見は必ずあって、私もやりがちなので言いたくなる気持ちも分からなくないんだけれど、でも似たような苦しみを味わっているのなら、ある程度の閾値を超えれば、そんな抑え方はしてはならないのかもと最近思っている。
なので、自分がコントロールできなくなりかけたとき、つらくなったときだって「誰でも一旦はそれで苦しむ」で終らさないほうがいいだろう。
さらにコントロールできなくなって、苦しみを感じることもなかったら、人に話すこともなくなる。
そして新たな虚像が生まれ、それが現実となり、また別の新たなねじれた苦しみが生まれる。
そんな苦しみの製造過程を繰り返すうちに、本来何があったかなんていうのは遠く彼方に行ってしまうであろう。
「誰でも」の先ではこのようなブラックホールが待ち受けてる可能性が高い。無責任に「誰だって」というには結果が大きすぎる。そんな起こりうる結果からしてみれば、受動的に人の話を聞いてみるなんて容易いことだ。
Posted by jane - 2010.04.13,Tue

論文締め切り1週間前。
ほぼ0の状態。
あぁぁぁぁぁ、、、、、やばいのは分かってるんだけど、どうにもならない。
そこから避けることしか考えてなくて、体が全然動かない。
ちょっときついぜよー。
こりゃ久しぶりにどかんとキテルなぁと。いつの間にこんなんになっちゃったかなぁと。
でもそんなことも考えたくない考えたくない、どわぁぁぁぁぁぁぁ。。。。。。。。。。
まぁ、発狂はこの辺にしておいて、向かわなければならないものに向かうしかないのですが、多分、サイショっから頼る人いない!ってなればやるんだよね、中途半端に人を当てにしようとするからいけないんだな。
逆に、助ける場合・教育する場合は、実は自分が手助けしてるんだけど、相手が自発的にやったようにみせる助け方・教え方が必要なんですね。私が人を助けようと思ったとき、逆に気回しすぎちゃって、相手にいい思いさせてこなかったかなぁと反省している。
助けられ下手は助け下手かも?
うーん、なんでこんな文体軽いんだろ。
どっかのサブカル系気取った人みたいな文章だ。
あ、今年の誕生日はつくばにいそうです。
夜はあいてます(誰となく
Posted by jane - 2010.04.08,Thu

ししし知らない間に大人になったんですね、
とか
ししし知らない間に苦しめていたんですね、ももも申し訳ないっっっっっっっ
とか。
なんか、発狂したくなる。
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